悔しいと思う気持ちを不快なものだととらえるな

五目並べが全然うまくならない。引くほどうまくならない。なんなんだ。友達に付き合ってもらっているけど全敗である。もう虚無しかない。なんなら勝てなさ過ぎて嫌になるから、今すぐアプリを消去したっていい。打ち始めて二か月以上経ったけど、そう思うぐらいうまくならない。

 

振り返れば、自分はいやなことから逃げてきたと思うし、究極の負けず嫌いなので勝負をすることを避けてきた。戦わなければ負けないし、つらい思いはしない。その考え方はすごく楽だった。ただ何の成長もしなかった。我慢のできない大人がそこにいた。

 

別に生き方なんて腐るほどあるし、この生き方がダメなわけではないと思う。ただ、これでいいのかという気持ちが常にどこかにあって、それを持ち続けているうちは自分はきっと最期に自分自身に納得できないんじゃないか、そう考えることが増えた。

 

だから苦手なものに取り組むことにした。得るものがなかったとしても、失うものなんて時間くらいのものだ。そして時間はあり余っている。自分が大の苦手な勝負に向かい合うタイミングは今しかない。

 

実際ぼこぼこにされていくのは辛い。負けちゃった、あはは、なんて大人ぶっていても正直悔しい。どうしたらうまくなるのかな、どうやったら勝てるのかな、いろいろ考え始めるようになる。

 

悔しさをバネに、なんてダサい言葉は使いたくない。でも悔しいという感情がちゃんと自分の中にあって、それが自分の何かを動かしていることに感動してしまった。生きている、とすら思った。悔しむことは悪いことじゃない。人間らしさだ。

 

そろそろ五目並べに勝って、相手を驚かせたいものだ。