マインクラフト体験してみた

インターネット配信でよく見かけますね、マインクラフト。

このゲーム自体は何年も前からあるのに、根強い人気を持っています。それはいったい何故なのか。

 

ゲーム好きなわたくし、体験してみました。30過ぎて、マインクラフトデビュー。

 

マインクラフトには何種類かあるそうで、わたしが一番最初に体験してみたのが、なぜかPSvita版。理由?そこにvitaがあったから。世の中の大多数のことは意味なんてないんですよ。知らんけど。

 

vita版の体験は40分くらいだったかな。なにをしていいかわからない世界だろうし、5秒で飽きるだろうと思ってたのに、40分あっという間に終わった。道具作って整地してたら終わった。あとゾンビに殺された。弓でも殺された。絶対に許さない。

 

そのまま完全版を買ってもいいかなー、なんて一瞬揺らぎかけたけど、PSvita版のマインクラフトはもうアップデートしてないと聞いて止めにしました。新しい機能が追加されないのに2000円ちょっと払えないし。

 

調子に乗ったわたしは、その流れでPC版も体験してみることに。

 

実はPCゲームを避けているフシがありまして。それは「W,A.S.D」とマウスを使って移動するのが難しいから…。酔いませんか?コントローラーで動かせたら、どれだけ楽か…とずっと思っていました。据え置きのハードはうちになかったので、PC版しか選択肢がなかったです。ぐうう。

 

さてさて、PC版の体験版のマインクラフトはPSvitaとは違って90分(ゲーム内日数で5日)も遊べます。体験版というより、動作テストと考えたほうがいいのかもしれませんね。わたしのPCだとちょっと動きが重くなることがありました。どこかのサイトでマインクラフトはゲーミングPCじゃないと厳しいという記述を見ましたが、普通のノートPCでもまぁなんとか遊べそうです。

 

ゲーム自体はよく言われる通り、何の説明もなく何も持たずに大地にポーン!と放り出されて「こうやって動くよ、ジャンプはこうで、インベントリはここ。はい頑張って!」くらいの説明しかありませんでした。そんなんでわかるか!鬱陶しいけどブラウザ起動して調べながらやるしかないわな。

 

 

 

でも…やだ…楽しい…

 

 

 

整地めっちゃ楽しい…たいまつめっちゃキレイ…ゾンビと弓に殺される…許さない…

 

でも想像してた以上に疲れます。集中力をすごく持っていかれる。ゲーム配信でサクサクとプレイしてたひとたち、尊敬しちゃう。リアルでもどんくさいのにゲームでもどんくさいのはなかなか悲しい。あれ?リアルでどんくさいからゲームもどんくさいのか?

 

これが3000円でプレイできるなら、と衝動買いしようと思ったけれど、なんと金欠で買えず…大の大人が情けない。お金貯まったら、マインクラフトするんだから!!!!待ってろ!!!!!

からっぽな人間の愚痴吐き場所はこちらです

別に誰かに褒められようとして始めたことじゃないのに、褒めてもらいたくなる。

別に誰かに認められたくて始めたわけじゃないのに、認めてほしくなる。

意味のない張り合いとか、意地とか、そういうの捨ててしまいたい。

 

もともと自分にはなにもないことなんて最初からわかっているんだ。

それでもあがくことのなにが悪いの?なにもないのにはじめたことを認めてくれたっていいじゃん。へたくそで悪いか、どうせ耳が肥えてる人間とは生まれも育ちも違うんだよ。

あがいたさきに少しくらいご褒美があったっていいじゃない。

 

みんながすごく努力していることだってわかっているよ。

でもさ、みんなは褒められるのに、わたしは褒められないのなんで?

へたくそだから?たいして頑張ってないから?

頑張ってるって決めるのは周りなの?自分がどれだけ頑張ってるって思ってても周りがそう思わなければその努力は認められないの?

 

当たり前のことで褒められたってうれしくないよ。褒められないよりましなだけ。

普段から承認欲求のかたまりなわけじゃないし、たまにはいいじゃんって思うくらいで。そんなところを誉めてほしいんじゃない、もっとわたしの別のところ見てほしい。

 

あのひとはここがすごくて、このひとはここが得意で、なんてもう聞き飽きたよ。

なんにもなくて悪かったな。すごいところなんかなんもねーよ。そんなになにかあるひとが好きならずっとそいつらと戯れてろよ、お前なんかもうしらねーよ。

 

あー身体いたい。なんでこんなことやってるんだろ。何の目標もないのに。なにもない自分になにか作ろうとしたって、もう手遅れなの、分かってるのに。

日本を支えているひとはネットじゃなくて本を読んでいる。ような気がする(あやふやかーい)

ただの雑記。

 

本を買った。あまりに文章がへたくそなので、「文章力をつける!」みたいな、最近よく出てる系のもの。伝わらない文を書いて困ることはあれど、伝わる文を書けて損することはないと思ったのがきっかけ。ナタリー初代編集長?が筆者。音楽ナタリーよく見てます、情報ありがとうございます。なので印税でお返しいたします。ますます。本当に苦手なのはしゃべることなんだけれど、できなさすぎて打ちのめされてしまうんじゃないかという恐怖に襲われたので逃げました。ほんとコミュニケーション向いてない。仲のいいひととだけ触れ合って生きていきたい。この世界、しんどくて吐きそう。

 

完全に偏見なんだけれど、頭のいいひととか仕事のできるひとって、よく本を読んでいるイメージがある。なんでなのかなって考えたけれど、ネットの記事と本で書かれていることって同じだとしても、筆者への責任の差が全然違うんじゃないかな、と。時間のかけかたも違う。推古のレベルも違う。別にネットの記事を馬鹿にしてるわけじゃないけど、ネットよりも本はがっつりお金がかかってるから、それなりに読者を納得させないといけない。納得いかなかったら著者にヘイトががっつり。次はないかもしれない。出版ってこわい。

 

いやいやそんなことない、頭がキレるひとだってネットを見てる、って意見もたくさんたくさん出てきそうだけれど、たぶんそういうひとたちはデジタル書籍だったり有料記事だったりを買って読んでる。よくよく考えたら無料の記事に責任求められないよね。読む側はお金払ってない、もしくは広告踏んで書き手に数円の儲けをあげるか、みたいな。あと脱線するけど、いま流行りのゴシップサイト、あれ誰が読むんだろう…全然おもんない。読んで得るものがなにもない。ウィキ見たほうが早いよね。

 

そういえば、すごくいいつぶやきを発見した。物書き大器晩成説。た、確かに…。ウェブライターさんは若いひと多いけれど、エッセイ書くひととか小説書くひととかはわりと人生の中堅あたりの方々だよなぁとぼんやり思った。もちろん漫画だって音楽だって、若くなくたって全然できるけど、ある程度歳いってるひと(言いかた失礼)ってもうベテラン勢というか…

 

とりあえずいい歳こいたオトナになっちゃってるわけだから、これからはちゃんと本屋に行くなり、有料記事読むなり、公式アカウントのニュース記事読むなりして、ハクをつけていきたいと思うわけよ(なに突然)。まぁ、むずかしいニュースは見事に飛ばすんですけどね。政治経済わかんないよ…円安ドル高…。昨日バスの中でわたしより少し年上の方がスマホで株の情報を見ていたとき、知恵の差をまじまじと見せつけられた感があった。がっくし。

いろいろおさえておいた

使いたいアカウントっていつもほかのだれかが使ってて取得できないから、名前を変えて他サイトでアカウントを抑えておいた。見事にだれも使ってなかった。う、うん、よかったようなわるかったような。そんなに人気ないアカウント名だったの?違うのにしといたらよかったかな?

 

頭も体もとにかくだるいや。こんなんなって一年くらいたつけど、もう治らないんだろうか。ご勘弁願いたい。

ビーエーディー

だめだこりゃ、なときがある。なんなら今日がそう。

 

寝起きから機嫌が悪かった。パートナーの寝間着で窒息しかけたからである。この寝間着、謎のさらさら生地で、空気を通さない。水もはじく。なんていう服で寝てるんだよ、綿が含まれてるやつにしてくれ。

 

ムカつきながらおにぎりを二個食べた。昨夜握ったおにぎりは冷えて固まり気味で、見事にのどに詰まった。目覚ましでは目を覚まさない彼が「なにか飲みな…」と私に言った。更に腹が立った。口を動かす前にスヌーズ機能をまず止めろ。

 

用事があって病院へ。薬局で薬をもらおうとしたら30分待ち。みんな花粉症の薬もらいに来てるんやろか…。30分も薬局で待ってられないので、いつも行くネカフェへ。すると…

 

ネカフェ、潰れてた…。

 

入ったら店員にすごい寂しげに、もう閉店で…って言われた…。

 

30分の時間の潰しかたを見失ったわたしは、ふらりふらりとスタバへ。いつもはスターバックスラテだけど、今日はなんかついてない日だから、おばさんさくらフラペチーノ頼んじゃおうかな!

 

なんか…みんなが褒めたたえるほどコレうまいか?

 

同じ値段で家系ラーメン食べたほうがよっぽどおなかにたまったし、栄養もマシだった気がするなぁ(あくまでマシなだけで優れてるわけではない)。

あと…当たり前のことだけど…冷たいね…だからフラペチーノは嫌い。数年ぶりに飲んだけど、もういらん。

 

薬を受け取ったあとの帰りの電車の中でも寒気が止まらなかったよ。なんならちょっと気持ち悪かったよ。おばさんにフラペチーノは禁忌だよ。おしゃれより体調優先だよ。全アラフォーに警鐘を鳴らしておきます。

 

昼ごはんを作る気も起きず、スーパーの総菜で済ます。そういえばわたし、ずっと麻婆豆腐が食べたかったんだった。今日のお昼は麻婆丼!!!決まり!!

 

…超辛ぇ。

 

午前中の不機嫌や不運を引きずるかのようだ。よくよく見たら激辛って書いてあるじゃん、何やってるんだろう。訪れるのは虚無。不機嫌も不運も実は自分が連れてきているのでは、なんてスピリチュアルな考え?お祓いでもしてもらおうかな。まったくお寺も神社も信じてないけど。

 

こういう日は、何もしないに限る。とっとと部屋着に着替えて、電気毛布にくるまって、スマホをいじりながら時が過ぎるのを待つのだ。抗おうとすればするほど、ツキはどんどん離れていく。不運の流れは基本的には変わらない。

 

夕飯の豚しゃぶを楽しみにするしか、いまのわたしには救いがないのである。まぁ、その豚しゃぶも自分で作るのだけれど。泣いてない。だっておとなだもん…。何事もなく今日という日が終わりますように。

誕生日にディズニーシーに行ってみた

気圧の変動にものすごく弱い。いま、がっつり気圧が下がっている。眠い。あくびが止まらない。神様に頭を引っ張られるような異常な眠気。対抗しようとしておっさんみたいに顔をゴシゴシこすってしまう。まだギリギリ女だというのに。しかしこれ、すっぴんならではの技である。気圧に振り回されがちな同志よ、無理せずあたたかくておいしいスープでも飲みましょう。ちょこっと楽になるかもしれませんよ。まぁわたしはバリバリコーヒー飲んでるけど。

 

つい最近、誕生日を迎えた。うっかり35歳になってしまった。いやだいやだ。さようならアラサー、こんにちはアラフォー。白髪が増えていく。

そして初めて誕生日ディズニーを決行した。しかもパートナーと。こんな機会は人生で一度あるかないか。いや、あったか?まぁどっちでもいいか、よくないけど。

朝5時起きで7時発のディズニーシー行きのバスに乗る。早起きはいつものことなのでそこまで辛くなかった。というか、日曜日だってのにこのバス、ガラガラ。わたしたちを含めて3組ほど。ディズニーシー自体の混雑予想は40%ちょっとで少し警戒していたぶん、拍子抜け。

朝ごはんに明太マヨおにぎりを2個頬張ったあと、重大なことに気が付く。

 

わたし、スマホ忘れた。

 

かばんに入れた記憶、ない。スマホ忘れた。

 

モバイルバッテリー持ってきたのに、スマホ忘れた。

 

あの日こんなに負のオーラを出しながらディズニーに向かったのは、わたしだけなのではないか…。写真たくさん撮りたかったんだけどな。あぁ泣ける。

 

 現地では、それはそれは楽しくて、ゆっくりショーを観たり、チュロスを食べたり、スモークチキンを食べたり、すき焼きサンドを食べたり、あれ?食べてばっかりじゃん。いいのですいいのです、それがうた流のディズニーの楽しみかた。乗り物は最小限。ディズニーは食べて観て散歩して土産屋を冷やかすところ。それで時間が余ったりタイミングが合ったら乗り物に乗ればよいのです。それが大人ディズニー。こんなにまったりディズニーで過ごしたことないけど、結構いいね、と彼に言わせるくらいにはだらだら過ごしましたよ。若くないんだから詰め込みすぎない。

 

初めてバースデーシールを貼ってパーク内をふらふらしたのだけれど、キャストのひとたちからハッピーバースデー♪と言ってもらえてうれしさ満載。ショーでデイジーにも気づいてもらえたし、その日からわたしはデイジー推しになりました。かわいい…ミッキーもジーニーもドナルドも好きだけど、デイジーも好き…。誕生日前後一か月はこのシールもらえるので、是非使ってみてください。ちなみに何枚でももらえるよ。大人でも祝ってもらえるのは、とても幸せなことなのです。

 

しかし朝の8時からうろうろしてたら午後4時には足が棒になるので、そのあたりで退散。夜のパレード観たかったけど、次の日朝早いので無理はしたくなかったのでした。今度はアフター6パスポートで、夜のパレード目当てだけで行くのもありだよなぁなんて思ってしまうのでした。

 

楽しみかたが無限だから、ディズニーには魅力があふれているんです。

震えて眠れ

日本人の義務である勤労をしていない怠惰なわたくしは、今日も惰眠をむさぼってしまった。世間の皆様、誠に申し訳ございません。起きたら、世の中の方々がお昼ご飯を食べ終わってるかな?くらいの時間でありました。最近こんな日々が続いていて、夜の寝つきがすこぶる悪い。寝ようとすればするほど頭はさえるので、スマホでどうだっていい記事を読みながら、寝ようが寝れまいがどうだっていいや、なんてやけくそな気持ちになってきて、気が付くと瞼が閉じている。

 

「うたちゃんだって結婚したら一日中寝てるわけにはいかないよ」と20年来の親友にいわれたのは少し前のこと。残念ながら結婚はしていないけれど、うっかりパートナーが出来たので、半同棲みたいなことをしている。お互いの家はちゃんとあって、都合があったり、ひとりになりたくなったりしたら自分の家に戻る。よくいえばおいしいところ総取り、悪く言えば結婚のままごと。

 

結婚のままごとを始めてから、生活が見事に変わった。パートナーが朝早いので、どれだけ眠くても朝の5時には一度起きる。そして朝の支度を見守る。朝ごはんは別に作らない。食べたければ自分でねスタイルなのである。前はもうちょっと早起きしてパートナーの昼食にデカめのおにぎりを4つ握っていたが、わたしの負担になったのでやめた。職場で弁当が出ていると言うし、デカめのおにぎり4つというコメの消費量を考えるとそんなに食費を抑えられている気もいない。弁当を買って社会の経済を回してくれ。ぐるんぐるん。

 

見送ったあと、わたしは朝ごはんを食べて眠る。生まれてこのかたずっと眠いのだ。眠ることが生きがいなのかもしれない。食事をしたあとに寝る背徳感、あなたも味わったことあるでしょう。きっと起きたら朝ごはん消化できなくて、胃がむかむかしてるんだろうな~、でも眠いわ、寝る、おやすみ。それが午前7時くらい。

 

しまった。やってしまった。午前10時、スマホが鳴って一度目が覚める。パートナーからである。仕事の休み時間に彼はほぼほぼ連絡をくれる。返事をしなくては、眠っていたことがばれてしまう。いや、ばれてもいいんだけど普通に連絡取りたい。乙女心と睡眠欲。最近は睡眠欲が勝つことが多い。起きれない。なんか胃ももたれてるし。朝食の目玉焼きの油が…おやすみなさい。

 

ところがどっこい、乙女心が勝つこともある。要するに午前10時起床。それでも世間一般から見たら相当遅い。もうちょっと眠れるけれど、連絡で起こしてもらえたし、家事やらなんやら、やらなきゃいけないことでも片付けるか、とコーヒーで朝のブーストをかける。

 

わたしたちの関係は、結婚でも同棲でもない。そして別に養ってもらっているわけでもない。食費も、光熱費も、割り勘。だからこそ家事はわたしの義務ではない。ただの善意だ。いつもマメに連絡くれてありがとう(皿を洗う)。体調を心配してくれてありがとう(コインランドリーに行く)。一緒にいてくれてありがとう(買い出しに行って料理する)。

こう見えてわたしはからだが弱いので、家事がどれもできなくなることがある。それでも責められることはない。なぜなら家事が義務ではないから。さすがに何もしない日が一週間二週間続くなら、自宅でぐうたらしているほうがお互い気楽でいいのでさっさと帰り支度をして自宅に戻る。マイホームでは料理なんてするわけもなく、カップ麺と卵かけご飯と納豆かけご飯が主食になる。そしてだれに気兼ねすることもなく眠る。ひたすら。

 

ひとりだと、どうでもよくなることがたくさんある。洗濯物なんてたまってたって困らないし、食事だって栄養バランスなんかどうだっていい。だからいくらでも眠っていられる。ただし全然生活が楽しくない。メリハリとかそういうのじゃなくて、死んでは生き返って死んでは生き返っての繰り返しのようで少し怖い。眠ることは死ぬことの疑似体験だ、だから大好きだけれどちょっとだけ不安になる。

 

「ずっと寝ていられなくなる」ことはカラダに来る。メンタルにも来る。結婚のおままごとでさえつらいことがある。もう若くはないから、正直キツイと思うことは増えた。それでもずっと眠っている生活より、誰かと一緒にいる生活を選んだ。死んでいる時間より、生きている時間を大切にしたいと思えるようになったから。ひとりよりふたりのほうが、楽しいと感じる瞬間がたくさんあることに気づいたから。当たり前のことなのに忘れてしまっていたこの感覚は、ひとりでいることに慣れすぎていたせいなのだろう。

 

しかしながら、ちょっぴり怖くても、死んでいるように思えても、やっぱり眠ることが好きなので、今日も罪悪感でいっぱいになりながら眠る。社会の歯車から外れたアウトローは今日も震えながら目を瞑るのです。ただいまお昼の2時。おやすみなさい。