売られたケンカはやりすごせ

一応わたしにも幸せなことに親友というものがいて、フォローしたりフォローされたり、どうでもいい話をしたりしてストレスを発散しながらお互い生きている。非効率なので言い争いもほとんどない。彼女がいたから今のわたしがいると思っている。とても感謝しているし、常に味方でいたいな、と思ってはいる。

 

そんな親友とこの間少しピリついた。

 

実は彼女は免停直前で、なるべく運転をしたくないと言っていた。まぁそりゃそうだよなぁ、わたしとは違ってある程度の地位にある人間、免停はマズイ。そのくらいわたしにも分かる。運転したくない、だから悪いけど地元のほうまで来てくれないか。うん、まだ分かる。片道一時間半、ちょっと遠いけど一年我慢すれば違反の点数もリセットされるし、それまではがんばろう。そして太陽がジリジリ肌に焼き付こうが体に雨粒がビシビシ叩きつこうが彼女の地元まで通った。

 

そしてついこの間、違反点数がリセットされたのだ。めでたい!いままで頑張って通ってきたけど、これからはある程度のところまでは迎えに来てもらえる!

 

「ラッキー、これで中間地点まで来てもらえる」

 

と彼女にカマをかけたら、なんと…

 

「それはどうだろう」「中間地点がとても遠く感じる」「交通費払うから来てほしい」

 

えぇ…。中間地点が遠く感じるってあんた…わたしは中間どころか最終地点まで通ってたけど…。それと交通費の問題じゃなくて、こっちは時間もかかるししんどいで、っていう話で。お前独身だし身軽なんだから動けるだろ、って考えられてるのだろうか…。とかいろいろ考えてたら腹が立ってきてしまった。いままでのことは分かったけど、これは分かんない。

 

「わたしはあなたの地元が結構遠く感じる」

 

普段それはおかしいっていうことを言われてもあまり噛み付かないのだけれど、これはさすがに言わないとだめなやつ。そう思って嫌みったらしく言ってみた。性格の悪さは取り柄である。

 

「自分の気持ちが分からなくなっちゃった。わたしたち、しばらく会うのやめましょう(遠いから)」

 

彼女はめんどくさい恋人を演じてこのピリつきを終了させた。わたしがピリつくと長いことを知っているのだ。自分の気持ちが分からなくなった、って遠いからめんどくさいって分かってるやんけ。

 

そして気がついたら歌丸師匠が亡くなった話やら、彼女の旦那が寝すぎな件やら、どうでもいい話にまた帰っていったのである。どうでもいい話は友情を救う。

 

しかし、後々考えてみると、「遠いから行きたくない」「交通費払うから来て」とかって、彼女の余裕のなさから出た甘えのことばだったのかなぁと。もちろんこっちも生きてるだけでギリギリなので、「じゃあこれからも通うね!」なんて優しいことばはかけられないけれど、せめて冗談でかわせばよかったな、と少し反省した。真正面からやんのかやんのか!とケンカを売られたヤンキーのように腹を立てて「わたしだって遠いよ」アピールをするのではなくて、「交通費二倍出して」「じゃあ近くに引っ越すからお金出して」とか言って、適当にやりすごせたんじゃないか。

 

負の感情を相手にぶつけることはあまりいいことではないし、お互いいい気持ちにはならない。だとしたら、おかしいな、と感じたことを相手にどう伝えていくのかがとても重要なのだろう。コミュニケーションの難しさよ。

 

余裕のないひとにつられて、こっちも余裕をなくしてはいけない。適当にやりすごして、相手の余裕の回復を待つのが吉である。向こうの感情は向こうの感情、こっちの感情はこっちの感情。お互い別々の固体であることを忘れないように。